林檎とレールのあいだ

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グリーン車は燃えているか

ダイヤが乱れた新幹線のグリーン車の話が盛り上がってますね。

 

個人的には、使いたければお金払って利用すれば?という感じなのですが、こういう場合って車掌さんとかにはどのくらいの個人的な判断が許されているのでしょうかね。

 

この騒動で思い出したことがあるので書き留めておきます。

 

 

僕が小学生の頃の夏休みに、東北にある母の実家に行った時の話です。

 

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帰りは寝台列車に乗って帰ることになっていたのですが、20時と午後10時を勘違いしていて気付いたときはもう発車した後でした。

確か、寝台の切符は乗り遅れたらタダの紙切れ。

しかたなく、駅で次の寝台列車の切符を購入したのですが、すでに寝台は売り切れ。残っていた普通座席の切符しか買えませんでした。

今思えば無理に夜行で帰らなくても次の日にすればいいのにと思いますが、まだ東北上越新幹線も走ってない頃で特急でも6時間以上かかる旅程を簡単には変えられなかったのかもしれません。

とにかく寝台ではなく、座席で帰ることになったのです。

 

列車に乗って、もちろん窓側に座って、車窓から真っ暗な中に時々流れる人家の明かりを飽きもせず眺めていると、しばらくして車掌さんが改札に来ました。

母は、その乗れなかった列車の切符(乗車券代わり)と乗っている列車の特急券を見せました。

車掌さんは、切符を見て、僕らが乗り遅れて仕方なく座席に座っていることが分かったのだと思います。

加えて小学生が夜通し座席に座っているのが哀れに見えたのかどうかは分かりませんが、改札を終えた車掌さんが再び僕らのところにやってきて、空いている寝台があるからそこを使いなさい、と言ってその寝台席まで案内してくれたのです。

しかもあてがってくれたのはA寝台。もともと乗ることになっていた寝台はB寝台だったし、いまだにA寝台に乗ったのはこの1回だけです。

子供心に、切符を買うときに満席と言われてたので、ここで寝てたら、後から切符を持った怖いおじさんが乗ってきたらどうしようと思いながらも、A寝台に乗れたことに嬉々としてました。

 

この時、寝台は満席でも普通座席の乗客はそんなに多くなくて、たしか近くに学生らしきグループが乗っていたのを覚えています。

そんな中で、僕らだけが寝台を使わせてもらえたことは、車掌さんの一存だとは思うのですが、ほかの乗客からすればなぜこいつらだけが、となってもおかしくない状況だったと思います。

 

逆に僕らが、寝台料金は一回払っているのだから寝台が空いているなら使わせろ、などと言ったら、それこそ今回の炎上と同じような状況ですよね。

 

でも、この出来事は、僕の中では生涯忘れることのできない、いい思い出の一つで、車掌さんには今でも感謝の気持ちでいっぱいなのです。

 

その割には、冒頭に『使いたければお金払って利用すれば?』という冷たい言葉を書いていて矛盾してね?と言われそうですが、あの時、純粋にうれしく思えたのは、寝台、しかもA寝台に乗れるなど予想だにしていなかったところに、これも純粋に車掌さんの親切心(だと思っている)によってその機会を与えられたからなわけです。

使わせてもらって当然という考えが最初からあったら、この出来事は何のうれしさも感じずに記憶にも残らないものだったと思います。

 

でも、本来払うべきものは払うべきであることには変わりなく、まして自分から要求するのはどうかと思う、ということです。

今回も、これが実際に起きたとしても『運休になった列車の乗客にグリーン車を開放』とかいうフレーズだったらもうちょっと違う反応だったと思うし、何事もどちらがどう発言するかでまったく違う話になるのだなと思った次第。

 

 

ちなみにあの時、乗れなかったのは寝台急行『天の川』、乗ったのは寝台特急『鳥海』、のちの寝台特急『あけぼの』だったと思う。

 

もう一つ。

 

最近、奮発して普通電車のグリーン車に乗ることがあるのですが、あれはヤバい。普通座席との落差がありすぎでもう普通座席に乗れなくなるほど。(乗るけど)

たぶん新幹線の普通座席とグリーン座席の差分より大きいなあれは。