今から30年前、国鉄が終わり民営のJR各社へ切り替わるという歴史的な瞬間がありました。
当時子供だった僕は民営化の意味もよくは分かっておらず、なぜ民営化すると赤字が無くなるのか、なぜ駅員さんが親切になるのかもなんとなくしか理解していませんでした。
でもこの時代、まさにバブルが始まった頃で、この後、世界一長い青函トンネル、世界一長い瀬戸大橋と続けざまにいろんなものが完成し、さらに数年後には元号も変わり、とにかく世の中が目まぐるしく変わって子供ながらにわくわくし通しの時期でした。
その国鉄最後の日とJRになってからの写真を撮っていたのでご紹介しましょう。
まずは、さよならJNRヘッドマークを付けた京浜東北線。懐かしい103系です。
正直、JNRからJRへの変化ってなんか大して違いないなぁと思ってもいました。
でも、もう「国電」と呼べなくなる、ということが寂しかったのを覚えています。
そのあと決まったE電とか全然しっくりこなかったし。
0系の現役写真残っててよかった。走っているときは当たり前すぎて撮らないんですよね。
偶然か何か、山手線の線路を走る特殊車両。
この日、国鉄からJRになる日をまたいで走る「旅だちJR号」というのが運行されました。
これは東京駅のホームで行われた出発式の光景です。
でも寝台の出発時間とも思えないなぁ。別の列車かな。
海外メディアも伝えていたんですね。
これは列車の最後尾。衛星放送か何かのためのアンテナか?
お座敷車両を撮影しているけど、これJR旅立ち号?寝台じゃなかったっけ?やっぱ違うイベント列車かも。
これはそのお座敷列車が実際に走っているところを撮ったもの。
ここまでが国鉄最後の日の写真。
ここからはJRになってからの写真。
しばらくは記念電車が走っていました。
たとえばこれ「おもしろ電車」。
何が面白いかというと、10両編成の山手線がこのように山手線のウグイス色から始まって
総武線のカナリヤ色
中央線のオレンジ色
常磐線のエメラルドグリーン
そして京浜東北線のスカイブルーと2両ずつ色が違うのです。
スカイブルーに「山手線」の表示は珍しいですね。
当時、山手線は103系から205系への切り替え時期でした。たまたま並んだ瞬間をパチリ。
これは東京駅で撮った本物の中央線。小さくて見にくいですがJR発足記念のヘッドマークを付けています。
もっとたくさん撮ったはずだけど、なぜか見当たらないのでここまで。
それにしても国鉄の民営化ってよくできましたね。郵政民営化を実現した小泉さんも大変そうだったけど、中曽根さんの時のほうがもっと困難だったのではと想像します。
この歴史的瞬間を実際に目の当たりにして、記録に残せたのは運がよかったなぁと思っています。