Airbnbをどうしても心の中でエアーバンブと読んでしまいます。
さて、夏といえば富士山ですね。(ほんとか?)
僕も何だかんだ言ってこれまで4回登ったことがあります。
別に登山が趣味と言うわけではないですけれども、何となく登ってみたくなるのはやはり富士山です。
そこで、これまで登ったことはないけれど、いつか登ってみたいと思っている方、まさにこれから登ろうとしておられる方に、ちょっとでも役に立てばと、筆を手に取った次第です。
まず最初に誰もが思うのは「自分は登れるのだろうか?たくさんの人が登っているとはいっても日本一高い山なんでしょ?高山病とか聞くと怖いし。。」ですね。
僕も始めて登った時は不安でした。まあ、結果としてそんな不安では済まされないほどの初登山になりましたが、それは後ほど。
この不安については「まあ大丈夫でしょう」としか言えません。僕も体力がある方ではありませんが、4回の登山を途中で止めたこともないですし、今も生きています。でも、ちょっと登り方を間違えたらかなり難しくなるだろうなぁというのが感想です。
噂では、エベレストの登頂に成功した人でさえ富士登山で死んだことがあるらしいです。まあこれは冬山でと言うことだと思いますが。
それでも大勢の方が無事に登っているわけですから「まずは登ってみる」のがいいのではないかと思います。
もちろんそれ相応の準備をした上での話ですよ。
そんな方々に、僕の拙い経験をひとつお話ししましょう。
最初に富士山に登ったのは2004年の夏です。
ただでさえ初登山の不安で一杯なのに一緒に登るのは日本語がわからない米国人3人という普段でもあまりない状況でした。
そしてそれに追い打ちをかけるがごとく、天気を見ると登山開始の日(左)から
下山する日(右)にかけて
気象庁HPより
そう、台風の真っ只中に登ることになったのです。
米国人3人のうち一人は日本に旅行で来ていたので日程がずらせません。
台風が近づいていることは分かっていましたが、せっかくだからと新宿から高速バスで五合目まで行きました。
バスに乗った時はこんな感じの天気だったのでなんとかなるかなぁと思っていたのですが、五合目でバスを降りた時には暴風雨の中でした。
写っているのは知らない人
お土産屋さんの中には人がまばらにいましたが、不安そうに外の様子を見る人、あきらめて帰りのバスを予約する人がほとんどで登ろうとしている人はいませんでした。
さすがにこれは無理だなと思って、え〜っと、あきらめて帰ろうってなんて言えばいかなぁと考えながら3人の所に行ったのですが、
米国人の目は輝いていました。
そこには不安などというものは微塵もなく、ただただ期待に胸が膨らんでいるようでした。
「え〜っと今日は残念だけど無理だとぉ「No problem! Let's go.」
正確には覚えていないですが、略すとこんな感じの会話の後、3人はスタスタと登山口の方へと行ってしまいました。
一人呆然と立ち尽くし、暗闇の中、上からスポットライトが照らされているシーンを想像してください。
それ僕です。
しかし、不思議です。何の不安も無い人がいると、不思議と自分の不安も徐々になくなって行くのです。
僕も覚悟を決めました。
登ります。
とは言え全く始めての登山道。しかも、もう夜で真っ暗。この先どの程度の傾斜なのか、どの程度の悪路なのかまったく分からない上に見えもしないというのはかなりの恐怖でした。ケチって100円ショップで買った懐中電灯はすでにこの時までにクリップの部分が壊れて使い物にならなくなっていました。
五合目から六合目までは比較的平坦な道が続き、距離もそんなにありません。ほどなくして無事六合目に到着しました。
そしてここで、最後のチャンスが来ました。引き返すチャンスです。
六合目には救護所のようなものがあるのですが、そこにいた警察のような服を来た人たちが、登ってくる数少ない登山者を半ば脅迫しながら追い返していました。
僕たち4人も例にもれず説得されます。今日は危険だと。絶対に止めた方が良いと。
最初は僕も「旅行で来ていて今日しか登れない人がいる」などと少し説得気味に話していたのですが、警備員の物凄い真剣な話し振りに最終的には、
「ですよね、さすがに今日は止めた方がいいですよね。3人を説得します。」と言って振り返って「やっぱり、きょ」あれ?
3人は先に進んでいました。
「お〜い!」と手を斜め前方に挙げながら叫び、でも振り返ってもらえないまま某然と立ち尽くし、上からスポットライトが照らされているシーンを想像してください。
それ僕です。
仕方なく、彼らを走って追いかけます。この時、後ろから浴びせられた
「どうなっても知りませんよ!」
という怒声は今でも忘れられません。
さて、この話は書こうかどうしようか迷いました。
こんな危険な状況で登山を強行するなんてなんて身勝手なんだと、自分でも改めて思いますし、もし何かあった時はそれこそこんな迷惑な話はありません。
でも、ただやみくもに登ると決めたわけではありません。実は近くにツアーの登山客がいたのです。その先導をしていたツアーガイドの方と話をさせてもらい、そのツアーは予定通り登山をすることを聞いていたのです。
それで3人にもこのツアーの人たちの後ろに付いていかせてもらうことで登ってみようと話したのです。
ともかくも、登ることになりました。
子供の頃にやった電車ごっこのように縦に数珠つなぎになりながらゆっくりと登って行きます。
吹きすさぶ風は、一人で背筋を伸ばして立ったとしたら吹き飛ばされるであろう勢いです。
ただひたすら、前かがみの姿勢で、すぐ前の地面だけを見ながら、口や鼻に紛れ込んでくる雨を飲み込まないように深呼吸をしながら、前の人に続いて修行のように登ります。
どのくらい登ったかはもはや忘れてしまいましたが、そのツアーの人たちが泊まるることになっていた山小屋に到着しました。僕らは山小屋の予約などしていなかったのでツアーの方たちとは別れて、先を行くことにしました。
しかし、雨も風もまったく弱くなるどころか強くなる一方、さすがにこれ以上進むのは無理だと判断して、次にたどり着いた山小屋に泊めてもらうことにしました。
普段、この時期なら、あらかじめめ予約しておかないと空きなどないのが山小屋ですが、流石にこの時ばかりはガラガラでした。
これだけのスペースを一人で使えたのはこの時だけ。
みんなでカップラーメンを食べましたが、その時近くにいた宿泊客もやっぱり外人さんでした。
寝ている間も戸や窓が物凄い音を立てて揺れていましたが、疲れていたのかあっさりと眠ってしまいました。
そして、目覚ましもなく自然に起きて目に飛び込んで来たのは、まさに台風一過の快晴の空に登ってくる太陽です。ちょっと無理しましたが登って来て良かったと思えた瞬間です。
山小屋は七合目にありましたのでのこり三合分です。しかしここからが大変です。
何号目とはいうもののそれぞれの間隔は均等ではありません。むしろここからが長いのです。
今まで登ってきた道を見下ろしたところ。
しかも僕はその時、問題を抱えていました。実はひどい靴擦れを起こしていたのです。その靴はこの富士登山のために買った登山靴。
あらかじめ靴擦れだけは絶対に避けなければならないと分かっていたので、一週間前に、慣らしのために高尾山に行っていたのです。しかし、その高尾登山で見事に靴擦れを起こし、それが治る間もなく富士登山に突入してしまいました。
一歩一歩、歩くたびに激痛が走るようになりました。ほんとうに地獄です。いろいろと対処してみましたがたいして改善せず、ひたすら耐えるしかありません。
当然、歩みは遅くなり、3人のうち2人は先に登って行ってしまいました。
あとは正直なところ頂上に登るまでのことはあまり覚えていません。
ただ、頂上付近の鳥居が見えた時には、なんというか、解脱とはこのようなものかと思えた気がしないでもない、と言っても過言ではないでしょう。
さすがに台風の真っ只中で登ってきたので、山頂にいる人もこのとおりまばらです。登ったことのある人なら分かると思いますがいつもは人でごった返しています。こんなことは4回登ったなかでもこの時だけです。
すでに先に登頂してした2人とも合流し、僕は山小屋でカレーを食べましたが、これが激ウマでした、ほんとに。
そして何より、初めて間近に見る火口や雲の上から見下ろす景色は感動ものでした。
しばし余韻に浸ったのち、いよいよ下山です。
しかしこの下山こそが本当の地獄でした。
富士山の下山道は砂利道です。足を踏み込むと沈み込んで行きズルズルと坂道を滑り落ちて行ってしまいます。それを踏ん張るのが辛い。
ひたすらジグザグに続く下山道(吉田ルート)。
富士登山で辛いのは下りです。
これが僕の感想です。
そして、例の靴擦れ。すでに地獄だと思っていたのに、あろうことか下りで本領発揮してくれました。
足が滑るのを踏ん張れば踏ん張るほど靴擦れの場所に力が加わります。一歩一歩が地獄を通り過ぎて天国です。足の感覚がなくなって行きます。いや、そうでも思わないとやっていけない状態でした。
当時、まだ見たことのなかったデスノートでリュークが言った「天国でも地獄でもない」状態はこのことだったのではないかと思っています。デスノート使ってもないのに。。
これは、人生で一二を争うほど辛い時間でした。
亀の歩みでなんとか下山し、バスで新宿まで帰ってきました。
憔悴しきったジャージ姿の男が、新宿駅の山手線ホームを一歩に数秒かけて歩く姿はさぞかし滑稽だったことでしょう。
そんな感じで、人生初の過酷な富士登山を終えたのですが、その後3回も富士山に登っています。
その時のことも書こうかと思いますが、思ったより長くなってしまったので続きはまた。
あるかな。